南條式変形徒手矯正療法(南條式療法)は、古来から南條家に伝わる神道殺活流の骨法躰術で、その真髄に東洋医学におけるツボと経絡治療を加え、さらに、ここ数十年来欧米において発展したカイロプラクティックやオステオパシー等の理論で医学的に療法の過程を説明しておりますが、その技法は独特の医術です。
南条家は宇多天皇(887~897)の子孫である南條貞宗公に始まり、公は南北朝の争いの折に両朝の融和に努めた功績によって、貞治2年(1363年)現在の鳥取県である伯耆守に任ぜられ、貞治5年(1366年)に羽衣石(うえいし)城を築きあげて、約250年間にわたり、南條公10代の居城としておりました。
1615年「大阪夏の陣」で、豊臣秀頼公を擁し、多数の家来と共に大阪城内で果て、一部の家臣の心遣いで「南條家の血を絶やすな」ということで南條家の子孫を守り、現在の愛媛県に移り住んだのですが、この人々によって、「神道殺活流(しんとうさっかつりゅう)」が継承育成されてきたのです。
この神道殺活流の術技は、人を活かす技法である活人拳(剣)すなわち活法と人を殺傷する技法である殺傷拳(剣)すなわち殺法からなっており、前者の活法が療法技術として施されているわけであります。ちなみに後者の殺傷法は戦国時代の戦争武道として使われたのであります。(日本武道流派辞典、武聖大艦参照)
南條家の秘伝として伝わるこの「南條式療法」は故人の武道達人であった南條禎成師によって、各医大の教授や医師らの協力を得て広く伝授されており、日本手技療法学会の最高優効賞を与えられております。また、東洋医学誌でも度々「南條式療法」のすばらしさについて、整形外科専門医師らによって記述されております。
また、最近では、国際的に評価を受け、1985年~1987年の3度にわたり、フランスのニースとパリで模擬施術を行い、パリ国立HOTEL DIEU病院から招聘を受けて、「南條式療法」による医術交流をしております。
現在では先代南條禎成師の愛弟子である富士坂弘高によって「南條式療法」を継承しておりますが、その術式の深さを考慮し、現院長を最後として今後の術式伝授は予定しておりません。